原点と挑戦期
『負けず嫌いの原点から高校進学への挑戦』
僕がサッカーを始めたのは、地元のコスモスポーツクラブ(現在のダイナモ川越)。小学生の頃から、とにかくめちゃくちゃ負けず嫌いでした。
試合に負けると、ピッチに倒れて大泣き。もう立てないくらい悔しくて、しばらく動けないこともありました。
でも、その悔しさを家に持ち帰ると、ひたすらゴールに向かってシュート練習。1時間は絶対。長い日は4時間。小学生にしては尋常じゃない時間を、ただひたすらボールに向かって過ごしました。
川越支部への挑戦
コスモスポーツクラブにはいくつかの支部があり、僕は春日部支部に所属していました。春日部も悪くなかったけど、当時の川越支部は"エリート集団"と言われ、試合で当たるたびに「すげえ…」と圧倒されました。
そんな中、僕の恩師となる先生に出会い、こう言われました。
「一太はもっと上を目指せる。川越に行かないか?」
推薦された川越支部は、僕にとって大きな挑戦でした。実家から片道1時間30分、渋滞すれば2時間を超えることも普通。学校が終わるとすぐに車に乗り、車でご飯を食べ夜遅く帰宅、宿題をして寝る毎日。
それでも、川越の仲間たちはレベルが高く、毎回の練習が刺激的でした。「ここで戦いたい」「ここで認められたい」長い移動も眠い夜も、全部吹き飛ぶくらいサッカーが楽しかった。
Jリーグ挑戦の挫折、そしてGRANDE FCへ
小学校6年生になると、サッカーの進路を決める時期がやってきました。僕は当時、Jリーグのチームに挑戦することに決め、柏、大宮、浦和の3チームを受けました。
しかし、結果は全て落選。悔しさは大きかったですが、埼玉の街クラブ・GRANDE FCに進むことになりました。
当時の僕の身長は160cmほど。関東リーグではたまにしか試合に出られず、練習も想像以上にきつかった。ある日、グラウンドに着くとあまりに体がしんどく、車の中で仮病を使って休もうと思ったこともありました。
でもその時、母の言葉に背中を押され、僕は重い足を引きずりながら練習に向かいました。
「やる前から諦めるな」
その言葉は今でも忘れられません。
キャプテンとしての重圧、全国大会ベスト16
中学2年の夏、当時のコーチからキャプテンに任命され、チームを引っ張る立場に。責任と期待に押し潰されそうになる瞬間もありましたが、仲間と共に成長する日々はかけがえのない経験でした。
そして中学3年。チームを関東クラブユース3位、全国大会出場に導くことができました。しかし、その全国大会では腰に怪我を抱えた状態で出場。痛みは想像以上で、ホテルでもほとんど眠れない日々が続きました。
それでもピッチに立ち続け、チームを全国大会ベスト16まで導くことができました。
尚志高校への進学を決意
努力は少しずつ実を結びました。小学生からの積み重ねが、高校進学のタイミングで複数の強豪校からオファーを頂くことにつながったのです。小さい頃からの負けず嫌いと努力が、ここで少しずつ形になり始めた瞬間でした。
そして僕は、新たな挑戦としてパスサッカーで知られる福島の尚志高校への進学を決意します。